電気新聞ゼミナール

2017.10.16

英国の電力自由化政策と原子力政策の関係から見えるものは何か?

  • 電気事業制度
  • 原子力

電気新聞ゼミナール(141)

 今回は、「自由化実施から25年を経た英国から学ぶ」連載の最終回として、原子力政策の動きについて見ていく。

【自由化・民営化の実施と原子力発電】

 1987年の総選挙で、サッチャー首相率いる保守党は、電気事業の自由化・民営化とともに、原子力発電の推進を公約とし、選挙に勝利した。その後、民営化の実施にあたり、政府は、原子力発電についても民営化する発電事業者(ナショナル・パワー)にその運営と、サイズウェルBを含む新規発電所の建設を委ねることを計画した。しかし、最終段階でこれを断念し、国営事業者(ニュークリア・エレクトリックとスコティッシュ・ニュークリア)が、既存の発電所を保有・運営するとともに、サイズウェルBの建設を担うこととなった。この背景には、既存発電所の稼働率が低位に留まっていたことや、廃炉やバックエンド費用の予測の難しさに加え、小売事業者に対し、販売電力量の一定割合を非化石燃料による電力とすることを要求する非化石燃料電力義務(NFFO)制度を通じ、既存の原子力発電所の運転のみならず、新規の発電所の建設についても小売事業者にコミットさせるという構想が、小売事業者の反対により頓挫したことがあるとされる。これにより、既に建設が開始されていたサイズウェルB以外の新規発電所計画は凍結された。

【原子力発電事業の民営化とその挫折】

 しかし、その後既存発電所の稼働率が向上したことや、既存発電所を対象としたNFFOと化石燃料賦課金(FFL)制度を通じた収入により、国営事業者のキャッシュフローは潤沢になった、また、サイズウェルBの建設も順調に進み、1995年に運開した。同じ年に取りまとめられた原子力レビューでは、旧式のマグノックス炉を除く原子力発電事業を民営化する一方、新規の原子力発電所の建設に対する政府支援は行わず、今後の開発は民営化された会社の判断に委ねるとの判断が示された。また、FFLについては、欧州連合(EU)の国家補助規制に違反するとの指摘を受けたこともあり、1996年で打ち切られた。
 1996年に発足したブリティッシュ・エナジー(BE)は、北米大陸の原子力発電事業に進出する一方、新規発電所の建設計画を撤回した。卸電力市場改革に伴う価格低下の影響の直撃を受けたBEは2002年に経営破綻し、事実上の再国有化を経て、2008年に仏EDFに売却された。

【原子力に対する新たな動き】

 英国政府は、2008年の白書において、地球温暖化対策やエネルギーセキュリティ確保の観点から、新規の原子力発電に対する支持を公式に表明した。この中では、政府は立地候補地の選定には積極的に関与するものの、建設や運転は民間事業者により行われるという考え方が示された。
 2013年の電力市場改革により、国による民間事業者の支援策として、差額決済契約(CfD)による発電電力価格の保証や、建設時の借入金に対する国の債務保証、国の政策変更による発電所閉鎖に対する補償といった制度が定められ、EDFが建設するヒンクリーポイントC原子力発電所(HPC)に対し適用された。しかし、支援策と国家補助規制との関係について、脱原子力を唱える一部のEU加盟国から異議が申し立てられていることや、ムーアサイド原子力発電所の建設主体である東芝の経営危機、さらに、HPCに対する中国企業の参加に端を発する外資規制の議論など、新規原子力発電所の建設に対する逆風も存在している。また、英国のEUからの離脱(Brexit)は、原子力などエネルギーインフラに対する政府の支援を容易にするという主張があるが、域内エネルギー市場から離脱出来ない以上、国家補助規制にも服さざるを得ないとの反論もある。

【原子力発電の推進に対する支援の必要性】

 1987年総選挙の保守党公約に対しては、「電力自由化と原子力発電の推進はおよそ両立できるものではない」との批判があった。NFFOによる支援の頓挫を受けた新規計画の凍結や、BEによる新規計画の撤回といったその後の英国の動きを見ても、この批判、すなわち、国による支援を通じ、市場メカニズムに一定の修正を加えなければ、競争環境下での原子力発電の推進、特に新規の発電所建設は難しいということは明らかになったといえる。

電力中央研究所 社会経済研究所 上席研究員
丸山 真弘/まるやま まさひろ
1990年入所 専門は電気事業法制度論

電気新聞2017年10月16日掲載
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