電力中央研究所

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電気新聞ゼミナール

電気新聞ゼミナール(292)
進化心理学はナッジの設計にどのように活用できるか?

行動経済学における「ナッジ」

2010年代以降、行動経済学の台頭とともに、ちょっとしたきっかけによって望ましい選択を促す「ナッジ」の概念が日本でも急速に広まった。特に省エネルギーの分野では、エネルギー消費量を他者と比較して情報提供することによって、省エネ行動を効果的に促進できることが広く知られるようになった。

省エネ以外にも医療や健康増進など、ナッジの成功事例は多様な公共分野で確認されてきた。その設計方針として、個別具体的な理論が存在はするものの、必ずしも首尾一貫した明確な理論が確立されているわけではない。

生物的な合理性で捉える進化心理学

人間の意思決定の合理性を、生物学的な進化の観点から理解しようと試みる比較的新たな研究分野として、進化心理学が存在する。どちらも人間の意思決定を扱う分野でありながら、行動経済学と進化心理学は互いに積極的な知見の導入はあまりされてこなかった。

しかし、ナッジは人間の一見不合理とも思える直感的な判断に訴えかけるものと言われている。これら二つの分野を融合することで、統一的な基礎理論を構築し、ナッジの設計を効率化できる可能性がある。

血縁者支援の感覚を活用したナッジ

電力中央研究所では、進化心理学の知見を組み込んで、効果的なナッジを効率的に設計する新たな枠組みを構築することを目的として、カナダのセント・メリーズ大学等と共同で研究を進めている。

生物学的な進化が人間の意思決定に影響を及ぼすとは言え、進化とは人間の生死の繰り返しそのものであり、現実世界でその過程を検証することはできない。そこで、コンピューターシミュレーションを活用し、 人間の進化の過程を模倣するモデルを構築した。その結果、血縁者からの支援が、物事のリスクに対する捉え方に影響を与える可能性が示された。

この知見を基に、血縁者からの支援を想起させるメッセージを活用したナッジを設計し、その効果検証を実施した。具体的には、工業化、プラスチックリサイクル、IT新技術など、様々なトピックを事例に、提供したメッセージによってそれらの受容性が高まるかを、複数の国において国際比較した。トピックや国によって効果の大きさに違いはあるものの、いずれの場合でも明確な効果が得られた。進化の知見に基づくこの新しいナッジには、より幅広いトピックや文化圏で活用可能性があることが期待される。

図

図 プラスチックリサイクルの促進を狙ったナッジの例
世代間の支援を伝える文章に加え、イラストを提示することで受容性が高まる。
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0277183から転載、小松の許諾済、CC-BY)

性格特性やプロファイルの効果

同じ内容であってもどんな人が伝えるかによって、メッセージの捉え方は変化する。現在、当所とセント・メリーズ大学では、環境配慮行動を促進するメッセージの提供時に、どのようなプロファイルや性格特性の人がメッセンジャーになるかによって、メッセージの受容性が向上するかについて研究を進めている。特に性格特性については、実際の性格よりも、あくまで印象としての性格の方が大きく影響を持つように進化してきた可能性がある。

今後は、こうしたメッセンジャーの印象によって、血縁者支援の感覚を活用したナッジの効果がさらに増幅可能か否かを検証し、カーボンニュートラルに寄与する情報提供のあり方を模索していく。

著者

小松 秀徳/こまつ ひでのり
電力中央研究所 グリッドイノベーション研究本部 上席研究員
2007年度入所、専門は行動科学・進化心理学・システム分析、博士(工学)。

Maryanne L. Fisher/マリアンヌ・エル・フィッシャー
セント・メリーズ大学 心理学科 教授
専門は進化心理学、博士(心理学)。

電気新聞 2023年9月20日掲載

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